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爆弾がおちた街

生まれ故郷の展示館でとある展示が撤去されるという。そこは自分が3歳の頃くらいから通った場所。何かにつけて行くことがあった(というより連れて行かれた)。その資料館は過去に行った人類が犯した業について認識を深めるという場所。大げさな言いまわしかもしれないが、どんな表現を用いたとしても、言葉を尽くせない。3歳の頃といったが、記憶にあるのが3歳というだけであり、写真好きな両親の貴重な(といっても本人以外たいした価値はないのだが)コレクションによると更に前に訪れた形跡が窺える。3歳歳以前にも行った記憶があるのだが良く覚えていない。

良く覚えていないのには、成長につれるはずの認知能力、経時老化に伴う記憶の限界によるのもあるだろう。が、どちらかというとトラウマ的なブロックが積まれている。そういえば幼少の頃、夜なかなか寝つきが悪かったのだが(今からは想像もつかないのだが)、寝つきが悪いというより夜が怖く、というより闇が怖かった。さらに音に対する反応というのが過敏だったのだが(眠れない理由というのが隣室の生活音が気になったというのもひとつ)、特に敏感だった音があるらしい。それは航空機の音。当時の大人達にはわからなかったらしいのだが、もう大人になってしまったにしろ自分本人ならわかる。爆弾を落とされるのではないか、と恐れていた。

展示場から撤去されるのは人形。その惨状を描いたとされる。暗い展示場内、その全てに闇がちりばめられ、人々の営みの痕跡がそれらを焼き尽くした残り火によりうすら赤く照らし出されている。たしか親子。性別はわからない。かれらが享受されるべき有形無形のほぼすべてをはぎ取られ、そのしの肢体を形づくるデティールが朽ち、ただれ、人類史上最も不条理な廃墟の中で彷徨う。今でも克明に覚えている。

その記憶、というより、他に思いつく言葉がないので軽くなるが使うとヴィジュアルは、国語辞典的にいうところのトラウマとPTSDの狭間を漂いながら影響を、もたらし続けた。夜になると呼吸が浅くなる。暗い場所が怖い。が、長ずるにつれそれも薄れていった。今思うと、幼少のあの時期に、”なにかに怯えて眠れない”とかその眠れないという同年代が得られない時間のなかで死について向き合っていた経験というのが少なからず今の自分を作っている。が、個人的な結果はどうあれ、子供にそんな衝撃的なシーンというのを見せるというのには賛成しない。世間ではその展示が、リアルに惨状を伝えうるツールだとして撤去に反対する人々も居るらしい。その事実を認識し忘れないということは、その事実による時代を享受している我々の務めだということはわかる。が、まず、我々が惨劇から学ことは、怖がることで知らしめるというやり方が正しいわけがないということなのではないかと思う。