ブラブラについて

先日ぶらぶらすること、について書いた。 そしてある方から「ぶらぶらできないのはぼくに「敵」が見えないからか、それとも見たくないからか。」という感想をいただいた。 そこで自分の置かれている位置と高校生のころから自分は一生ぶらぶらしていたい、という将来の希望を持ちながらのらりくらりと生きてきたその軌跡を想い、そのブラブラというものが何だったのか考えてみることにする。 ただ感想をいただいた方の「敵」というものが今私が死ぬか生きるか関わっている癌というようなものについて書いた文脈からのものであり、今私がここに書く「敵」というのが死をもたらすものをも含む何かでもあり、自分の「ブラブラ」と自分の「敵」というものがどのように関わっているか自分でもこれを探る縁になるかもしれないと筆を始める。

農夫の祖父の下、母子家庭で幸せに育ち子供のころの夢というものがあったのかなかったのか今思い起こしても思いつかない。 当然漠然とパイロットや運転手というようなことはあっただろうがそれは間違っても医者や、博士、企業の社長というようなものでもなく、増してや我々の一世代前の「末は将軍、大臣」かという物々しい掛け声も既にない新生民主主義国日本の子どもの他愛ないものだったのだろう。 けれど英雄というものはあってそれは月光仮面であったりスーパーマンであったりしたが幾ら子供でも将来なれるものではないとは理解はしていただろう。 小学校から高校まで将来のための競争の中にいて将来は大学を卒業して、、、というようなものが周りからの強いプレッシャーとともに頭の前に常にぶら下がっていた。  けれど学校ではその都度尊敬できる素晴らしい教師たちにも恵まれたけれど教師になりたいとは思わなかった。 陰りがでたのは67年ごろからだろうか。 社会の空気がまともに将来の自分とこの国のかたちというものを考えずにはいられない、避けて通れないものとなって我々には迫っていた。 学友の中には大学に行くことが社会に呑み込まれるこ

とであって拒否するものまでいる始末だった。 世間は「猛烈」があたりまえで若者には「ダルイ」気分が蔓延していた。 大学に入った時には「騒乱」は終焉していて何事もなかったように日常は過ぎていく。 

そんな中で自分が選んだのはブラブラと生きることだった。 それができる下地はできていた。 2年浪人して、1年留年、社会に出ても将来有望な職などない。 先日亡くなった加川良というフォークの歌手の「教訓I]というのがあたまから離れなかった。 命はひとつ人生は一回だから命をすてないようにネ、、、、、青くなってしりごみなさい、にげなさい、かくれなさい、、、、そうよあたしゃ女で結構、女のくさったのでかまいませんヨ、、、、、基は戦争にとられるときのことを歌ったものだが我々若者は経済成長期の経済戦争に追い込まれる兵隊さんだったのだから。 そんな中で偶々知り合いのアメリカ人教授からオランダに来て手伝わないかという誘いがあったのでそれに乗った。 それが1980年だった・

オランダで結婚し、子供をもち、息子が中学にあがるころお父さんの公務員の給料が低いから自分は金儲けができるように勉強したいと言われたときには驚いて自分のときとはずいぶん違うものだと思った覚えがある。 自分は大学を卒業してブラブラしているときに新聞広告で応募した中小貿易商社で営業マンをして数千万円の小切手を換金するのを忘れ無効になりそうなときに自分には金儲けは向いていないと思った。 仕事はこなせても仕事に対する意欲がなかったのだ。

たまたまなったライデン大学の語学教師・オランダ国家公務員の給料で生活する親の生活を自分の息子が貧しいと思ったことに時代と国の違いを感じていた。 戦後の貧しい日本の田舎の農家で育ちモノには恵まれていなかったのだろうがそれは感じなかったのだから貧富の比較をする対象がなかったのだろう。 つまり周りも貧しかったということだ。 オランダ人の家人も裕福な家庭では育っていないから夫婦は互いに何の不自由もないとは感じていたのだろうが子供にとってはクラスの親の20人以上が博士号をもち自営業や高収入の親たちが多いところでそんなクラスメートのなりふりをみていて感じることがあったのだろうがそれも分からないことではない。 だからそんな少年の想いをもちつつ息子は大学では経済・経営・税法・ガバナンス解析などを修め一流会計会社に就職し公共団体・公益法人などの分析を専門とし公認会計士になるべく修士号をとってからでも大学にも通っている。 当人は社会の仕組みを知るのが面白いと仕事に励んでいるのだがそれが高収入につながるかどうかには特に興味がなさそうで嘗ての子供の夢から変化してきていることには好感をもっている。 

自分がぶらぶらして生きてきたことからして誰もそうして欲しいとは望んでいないが自分の子供たちには忙しくともいつも何かに追われるような生活、自分の意に添わない生活はしてほしくない。 理想があればそれに越したことはないけれどなくとも何の差支えもない。 自分には理想の職業というものはなかったのではないか、自分の理想は一生ブラブラして適当に生きることだった。 そして定年を迎えた時にこのままブラブラしたまま老いてのらりくらりと逃げ切れるのではと思っていた矢先に胃の中に爆弾を抱えていることを知った。 健康でブラブラしているときに癌が見つかり見た目は変わらぬが強制的にブラブラ生活を余儀なくされることになったのだった。 自分にも他人にも何かに追われるような生活、自分の意に添わない生活はして欲しくない、と書いたが今の自分のブラブラした生活は表面的にはそうみえるが病魔に追われて自分の意に添わない生活なのだ。 だからこれは自分の意図するブラブラではない。

上に述べたある方の「ぶらぶらできないのはぼくに「敵」が見えないからか、それとも見たくないからか。」という意見に戻る。 「敵」というものが何か、敵がみえればぶらぶらできる、というように読めるところが気になる。 この方がいう「敵」というのは上に書いた死にいたる病気のようなものでないと仮定すると、それは巷では「男は外には(社会に出ると)10人の敵がある、という敵とは違うような気がする。 もっと人間存在の基にある自分の意志を阻むものだと想像してみる。 こうなりたい、こうする、というときに目の前に、若しくは遠くから明らかに自分を疎外するかもしれない存在だろう。 それが見えた時にブラブラできるとすると多分そのブラブラは「敵」に果敢に立ち向かうなり正面から対処するなりという行動を意味するのではなく、迂回したり敵から距離をとりながら過ごす、ということを意味するのではないだろうか。 あるときから気づきはっきりとは見えないながらもどこかに厳然と在るとりつくところも見えないようなもの、敵とさえ呼べない肌に纏わりつくような忌むべきもの、それを感じた時に自己防衛の手段が「ブラブラ」なのだろう。

自分にとって自分を疎外する存在というものを感じたのは大学入試時期から大学卒業期の頃だったのかもしれない。 理想もなく定見もなく小市民として生きていく道が漠然と前にあり積極的に企業なり公務員として生きていく自分を描けず漫然と卒業し中小貿易会社に入ったのが一つの契機だったのかもしれない。 会社のメカニズム、扱う商品、輸出業務はやっていて面白くはあるがこのまま一生続けているとどこかでプイと嫌気がさして止めてしまう気がした。 そのとき自分に家族もこどももあったら自分の父親の二の舞ともなるだろうからオランダに来たのは僥倖だった。 それ以後はぶらぶらと生きている。 人には指図されず急がずのんびりとやってきた。 何もしない時間は十分すぎるぐらいある。 公務員で大学教師ほど時間が自由になるものはない。 大学の人間は面白くないからできるだけ大学以外の人間と接するようにしてきた。 趣味にしても読書は続けるけれど猫の散歩よろしくあちらに出かけては頭を突っ込み面白くなければ別のところに行く。 仕事は人に後ろ指をさされない程度にきっちり勤め学会にも顔を出す。 けれど自分は大学にいる人間だとは思っていない。\xA1

‖膤悗砲い訖佑曚廟ご屬鮹里蕕覆い發里呂い覆い里論こΧδ未任△襦▷,韻譴蛭爐蕕涼亮韻箸いΔ發里麓匆颪帽弩イ垢襪里世ǂ虍爐蕕力辰鯆阿唎里鰐滅鬚い韻譴匹修譴世韻澄▷‖膤愎佑婆滅鬚た佑燭舛呂修里Δ措④瓩討い唎里魏真佑發澆討い襦▷\xA129年も同じ職場にいたのだから真面目に働いていたではないかと言われるかもしれないが時間が自由になり暇が多く制約されないというのはブラブラできたという事だ。 

話は突然べつのところに飛ぶ。 11歳のあるときまで全く泳げずある日急に50m泳げるようになり2,3日のうちに平泳ぎで1km泳いだ。 プールもない時で泳ぐのは海だから急に泳げても水には慣れておらず底が見えないところでは怖かった。 12歳の時伯父と二人田舎の海岸に魚釣りに出かけ誰もいない浜で海水パンツの用意もしていなかったので丸裸で波のない海に入り底の見えないところでゆっくりゆっくり浮かびながら平泳ぎで浜沿いに行ったり来たりした。 その時弛緩して伸びきった金玉が水中で揺れるその寄る辺なさが忘れられなくそれがある種ブラブラの感覚だ。 平衡感覚が乱れ重心が定まらず確かなものを求めるけれど掴めるものはない。 女性には理解できるだろうか。 しかし一旦クロールや平泳ぎで大きく水をきスピードをもって泳ぎ始めるとそれも忘れるけれどのんびりと水に浮かび金玉の動きに任せるとそのブラブラはなかなかのものだ。

ここまで書いて来て自分のブラブラは何だったかはっきりと掴めたかどうかは自信がないがそれは多分自分を急かすものもなく、ある程度の好き勝手を制約するものがない状態かもしれない。 大人(たいじん)でなくとも結構、小市民なのだからそれを受け入れ、時間が経つと別に何の功績もなく場を去ることになる。 人に迷惑もかけずある程度ぶらぶらできたというのが人生の褒美だと思っている。

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